Gradatioんcafe

肚と口が合ってるコトだけ書いていきます

生きる とは ~85歳の伯母を見舞って思ったこと~

先日 母の姉のお見舞いに

行ってまいりました

 

母の姉
85歳の伯母

わたしの記憶の中の伯母は
某有名企業に永年勤務してきた
キャリアウーマン

 

きっと
部下から届いた
お中元やお歳暮だったのだろう
伯母の家にはいつも

高級そうなお菓子の箱があった


そんな お菓子の箱のことや
独身貴族で
マンションを
早々にキャッシュで購入してたこともあって

わたしの中での 伯母は
凜とした 毅然とした
そんな女性だったように
記憶している


逆に言えば
隙の無い
非の打ち所のない
堅物で
面白みのない
女性だった のかも知れない

 

そこは 高齢者痴呆症の病院とも
精神病院とも言えるような場所だった

机をドンドンと叩き続ける 老婆
それを注意しながら罵倒する 男性の老人
壁の一点を見つめる老人

頭を
机に置かれた座布団の上に
突っ伏して微動だにしない老人


母は その光景を見ただけで
充分に動揺していたように見えた
(ここに姉がいるのか…)というような
そんな
落胆の表情も見て取れた

当のわたしは
そんな光景を見て

不思議と 何も思わなかった


その人たちの
今までの "人生" とは
どんなものだったのだろうか と

そっちに興味があった…

 

「誰が行っても(誰が来てるのか)
 
 わからないのよ…」

 

もう そんな感じなんだ な

でも

「たとえ 誰だかわかってもらえなくたっていいじゃんか」

そう思って覚悟して出掛けた

 

伯母の病室は
女性だけの6人部屋だった


ずっと大声で独り言を喋る老婆がいた
ずっと

「ごめんなさい」 と
言い続けている 老婆もいた

 


看護師の方が
伯母に 声を掛ける


「妹さんがいらっしゃいましたよ」
「起きられますか?」


ベッドに横たわった伯母は
まるで
棒人間のように
やせ細り
身体は ぺらっぺらだった

そんな姉を見た妹である 母は…

「こんなんなっちゃって…」と
目を背けようとしたが
わたしは
そのときも不思議と

その身体に対して
何も思わなかった…


ただ そこに

伯母がいる


一生懸命生きて来た
その身体が
その 今 が
確実に ここに在る

そんな思いがした


伯母は 妹である 母のことを
姪である
わたしのことを

交互にずっと見つめ

微笑んだ…


伯母は わたしたちのことが
わかっているのだ


掛け布団の中に手を突っ込んで
伯母の手を握る
時折 握り返される その手に
力が入る


目を細めて
わたしを見つめてくれる

わたしはずっと
伯母に笑いかける
笑い続ける

 

運ばれて来たおやつを
茶さじで口に運ぶ

あの…
凜とした 毅然とした
非の打ち所のない
キャリアウーマンの…

あの 伯母が


わたしの手から運ばれる
茶さじにのっかった
病院のおやつの
チョコムースを
美味しそうに

食 べ て い る


時には

茶さじに 自ら口を近づけて
ひとくちひとくちを
食べる

小さくしか開けられない口に
まるで
離乳食をあげるかのごとく
食べさせる


「おいしいですか?」


その質問に
小さくうなずく 伯母


おやつも お茶も終わり
また 掛け布団に
手を突っ込んで
伯母の手を握る

身体をさする
肩をさする
腕をさする
ベッドの下方に回り
脚をさする

すると


伯母が
全身に力を入れて
一生懸命身体を
動かそうとして
わたしに何かを

伝えようとしている


母が訊く

「気持ちいいですか?」

伯母が


うなずく…

 

思いが 伝わったのだ と 思えた

 

あっという間の時間だったが
気付けば
1時間半も経っていた


ほぼずっと 伯母の手を握っていた
伯母の身体に
触れていた

 

このひとは
こんな風に
身体を洗浄される時間以外で
身体をさすってもらったこと

何年ぶりに経験したのだろう

ふと そんなことを思った


夫も 子もいなくて

ずっとひとりで
働き続けて
きっと
お金には何の不自由も
なかっただろうけど

身体を

なでてもらったり
さすってもらったり って

どのくらいの間

してもらってこなかったのだろう
もしかしたら


半世紀以上
だったかも 知れない…

 

伯母は もしかしたら
もう 身体の半分くらい
天国にいるのではないか

そう思えた

そうでないとしても
伯母は もうまもなく

あちらの世界に
帰って行くだろう


伯母の表情は
仏 そのもの だった

わたしは
この日


初めて


伯母と 魂同士の関わりが持てたような気がした…


妹が 未婚で不倫して産んだ
世間から 後ろ指さされる
姪っ子

それが わたし だっただろう


子どもながらに
オトナ達から発せられる
そんな空気は感じてた


でも 何十年も経って
やっと

わたしは伯母と初めて
心で
魂で

会話が出来たような気がした

それが
伯母が言葉を使えなくなってからだったなんて

ちょっと皮肉な気もするけど(笑)

 


帰り際

母が 姉である伯母に向かって言った

「がんばって」の言葉が
辛すぎて


わたしはすぐに遮って
打ち消して言った

「○○ちゃん(伯母の名前)は
もう いーーーーっぱいがんばったんだから
もう がんばらなくていいの」

「がんばって って 言わないで…」

 

そのとき

伯母の眼から
一筋流れた 涙は

なんの涙だったのだろう


それを知ることも
出来なくてもいいと

思いながら
また来るね と約束して

病院を後にした


伯母の微笑みは
仏さま そのものだった

 

 

生きる とは
なんだろう

 

あらためて 人生というものは
何なんだろう と

考えずにはいられなかった

 

あの
「ごめんなさい」と言い続ける老婆は

ずっと何かに罪悪感を持ち続けたのだろうか


あの
机を叩き続ける老婆は
本当は何を

叩きたかったのだろう か

 

人間とは

人生とは

ひと とは…

 

でも どうあっても
どんな状態であっても


やはり 美しい と

結論は それに尽きるなぁ

 

 

 

本日2月28日で CD版の 販売を終了します

f:id:grazie828:20150228211622j:plain

 

 

死に向かって生きる

「死に向かって」なんて おだやかじゃない と思われるだろうか
それとも

「みんなずっと死に向かって生きてるよ」 と 反論されるだろうか…

 

わたしは あと1年半で50になる歳になってほぼ初めて

これから先の人生を「死に向かって」という見方をして生きたい と思った矢先だ

今まで常識と言われるような べき や ねば が出来なくなって久しい

"やりたいことだけしていればうまくいく" の本当の意味は

ただ "やりたいものコト"の一部分しか見ていない状態で発する言葉ではないのは 重々承知している
"やりたいこと(魂が望む喜ぶetc)"なら 他のどんなものにも出せなかったパワーが

なぜかどんどこ湧いて来る から だからうまくいく という意味で使うことは

もちろんわかっている上で 言う


"やりたくない" ことは "出来なくなって" しまった

宇宙の法則から言えば 至極順当なエネルギーの使い方であると感じる
わたしたちは往々にして そういったものを わざわざこねくり回して

効率やスピードや省無駄やコストのカットやシステムや その他あらゆるもののために

"やりたくない" ことを やってきたことも

たくさんあっただろうと思う

魂も震えてなければ 心も動いていないのに 身体を無理ヤリ動かす


さぞ 多くの自分を 捨てて来ただろうな

いっぱい 責めて虐めて来ただろうな と 感じる
 

だけど メンタルに関わる仕事を7年してきて 元々近い世界であった「スピの側」を つかず離れずして来て
ほっとく という… うん 放っておく ということの
これほどまでの重要性に気付いたのは 一瞬で でなんかじゃなく(笑)
あっちぶつかりこっちぶつかり生傷たくさん作って やっと ここまで来たような気がしてる

この 放っておく の奥底は やっぱり

信じる しか 愛 しか ないんだけど… またこれも見せかけでは全然放っておけないワケで
 
これからはどんどん みんなが(その度合いや速さは違っても)
ちゃーーーーーーんと "やりたくない" ことは "出来なく" なる のを 信じて安心して

「放っておく」 
そして わたしにとって こういう関わり方が すこしずつ心地よくなり

すこしずつは出来ているかな と 高を括りたい

話は戻りますが

50まであと1年半となった今  ここ最近 自分の人生に向き合う時間をたくさん与えられた

もう 「絶対やらないぞ」と意気込んだり「そうは言ってもね」と一旦受諾するなんて微塵も通用しないほどに

"やりたくない" ことは "出来なくなって" しまった この心と身体を

残りの時間どう使って 生きるのか…

ここまで頑なに(笑) "やりたくない" ことを "出来なく"してもらったのだから

そんな… 魂に対しての冒涜行為はさらさらする気もないし

すかさず邪魔(極度の睡魔や急激かつ短時間(笑) の体調の悪化)が入って 不可能そうだ

 

人生とは 本当におもしろいものだと思う

"生まれ戻る"(魂の目的を知りあるがままの自分に還る)という看板を吊る下げた途端に

SOBという学校はそういう場になった

本音で生きる と思ったら それ以外は淘汰されていく…
肚と口を合わせる生き方をする と 決めたら

自分の人生からまず そうなっていく(笑)


(笑い事だけじゃない部分も含め そうなっていく( ̄▽ ̄;)

 

人生とは いつもそういうものだ 

 

 

あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

慣れないし やっぱちょっと緊張するな!!!



決めた通りに 動いて行く

決めたように 運ばれていく

決めたように 創られる

 

 

この 新しいブログは これから「死に向かって生きる」ことを

肚と口を合致させて書く  …と 決めました

 

「死に向かって生きる」 とは どんなことを表すのか

 

一緒に 見てって頂けたらとても嬉しいなぁ と思うのであります

 

新しいブログ  こういうのは新月に始めればいいのにな と
既に 形を浮き彫りにしたちっちゃな月に

見つかっちゃった気分で 初投稿

 

 

山下瑞恵 MizueYamashita
facebook
twitter
TEL:07064533797 or 08049089037
LINE:yamashita_mizue
yamashitamizue@verita.jpn.com

2015 All create by yamashitamizue