Gradatioんcafe

肚と口が合ってるコトだけ書いていきます

死に向かって生きる

「死に向かって」なんて おだやかじゃない と思われるだろうか
それとも

「みんなずっと死に向かって生きてるよ」 と 反論されるだろうか…

 

わたしは あと1年半で50になる歳になってほぼ初めて

これから先の人生を「死に向かって」という見方をして生きたい と思った矢先だ

今まで常識と言われるような べき や ねば が出来なくなって久しい

"やりたいことだけしていればうまくいく" の本当の意味は

ただ "やりたいものコト"の一部分しか見ていない状態で発する言葉ではないのは 重々承知している
"やりたいこと(魂が望む喜ぶetc)"なら 他のどんなものにも出せなかったパワーが

なぜかどんどこ湧いて来る から だからうまくいく という意味で使うことは

もちろんわかっている上で 言う


"やりたくない" ことは "出来なくなって" しまった

宇宙の法則から言えば 至極順当なエネルギーの使い方であると感じる
わたしたちは往々にして そういったものを わざわざこねくり回して

効率やスピードや省無駄やコストのカットやシステムや その他あらゆるもののために

"やりたくない" ことを やってきたことも

たくさんあっただろうと思う

魂も震えてなければ 心も動いていないのに 身体を無理ヤリ動かす


さぞ 多くの自分を 捨てて来ただろうな

いっぱい 責めて虐めて来ただろうな と 感じる
 

だけど メンタルに関わる仕事を7年してきて 元々近い世界であった「スピの側」を つかず離れずして来て
ほっとく という… うん 放っておく ということの
これほどまでの重要性に気付いたのは 一瞬で でなんかじゃなく(笑)
あっちぶつかりこっちぶつかり生傷たくさん作って やっと ここまで来たような気がしてる

この 放っておく の奥底は やっぱり

信じる しか 愛 しか ないんだけど… またこれも見せかけでは全然放っておけないワケで
 
これからはどんどん みんなが(その度合いや速さは違っても)
ちゃーーーーーーんと "やりたくない" ことは "出来なく" なる のを 信じて安心して

「放っておく」 
そして わたしにとって こういう関わり方が すこしずつ心地よくなり

すこしずつは出来ているかな と 高を括りたい

話は戻りますが

50まであと1年半となった今  ここ最近 自分の人生に向き合う時間をたくさん与えられた

もう 「絶対やらないぞ」と意気込んだり「そうは言ってもね」と一旦受諾するなんて微塵も通用しないほどに

"やりたくない" ことは "出来なくなって" しまった この心と身体を

残りの時間どう使って 生きるのか…

ここまで頑なに(笑) "やりたくない" ことを "出来なく"してもらったのだから

そんな… 魂に対しての冒涜行為はさらさらする気もないし

すかさず邪魔(極度の睡魔や急激かつ短時間(笑) の体調の悪化)が入って 不可能そうだ

 

人生とは 本当におもしろいものだと思う

"生まれ戻る"(魂の目的を知りあるがままの自分に還る)という看板を吊る下げた途端に

SOBという学校はそういう場になった

本音で生きる と思ったら それ以外は淘汰されていく…
肚と口を合わせる生き方をする と 決めたら

自分の人生からまず そうなっていく(笑)


(笑い事だけじゃない部分も含め そうなっていく( ̄▽ ̄;)

 

人生とは いつもそういうものだ 

 

 

あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

慣れないし やっぱちょっと緊張するな!!!



決めた通りに 動いて行く

決めたように 運ばれていく

決めたように 創られる

 

 

この 新しいブログは これから「死に向かって生きる」ことを

肚と口を合致させて書く  …と 決めました

 

「死に向かって生きる」 とは どんなことを表すのか

 

一緒に 見てって頂けたらとても嬉しいなぁ と思うのであります

 

新しいブログ  こういうのは新月に始めればいいのにな と
既に 形を浮き彫りにしたちっちゃな月に

見つかっちゃった気分で 初投稿

 

 

山下瑞恵 MizueYamashita
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